2017年01月26日

宮島もみじまんじゅう作り体験記

宮島もみじまんじゅう作り体験記

あなたにもできる! 宮島もみじまんじゅう作り

春も間近な二〇一六年三月某日。

薄曇りの空の下、広がる遠浅の砂浜の向こうは、とろりと横たわる灰色の海。海上には、宮島周辺を慈しむかのように建つ鳥居が見えます。

商店街を漂う牡蛎の焼ける磯のにおいと、チーズとベーコンの握り天の油のにおい。ちょっぴりおなかが減ってきたわたしは、誘われるようにもみじまんじゅう店の前に立っていました。

まんじゅう店の看板を見ながら、期待で鼓動がだんだん高まってきます。

もみじまんじゅうの中身はこし餡が有名ですが、ほかにチョコレート、抹茶、クリーム、つぶ餡、チーズがあります。

明治時代に伊藤博文が、お茶屋の女の子の給仕の手を取って、「もみじのようだ」と言ったのがはじまりだと言われています。

お笑い芸人が一世を風靡(ふうび)して、有名になりましたよね。

「もみじまんじゅう!」

知らない?

昭和ネタで悪かったわね!

そう。今からわたしは、むかしの菓子職人が作っていた、ノスタルジックな方法を学びに行く訳なのです。

この体験が出来るのは、商店街の入口近くにある有名もみじまんじゅう店です。

店構えは、近代的なお店です。見たところ、普通の和菓子店と変わりません。

レジで講習代金(七百六十円程度)を払ってから二階にのぼります。

二階では、五人ぐらいの人たちが作っています。

金型も、五つぐらいあったでしょうか。

中央に、まんじゅうを食べられるスペースと、手洗いスペースがありました。

さっそく、割烹着とゴム手袋をつけるように指示されました。

さて、いよいよ実習です。

あらかじめ暖めてあるもみじの金型を約三十秒、コンロで暖めます。

金型は、効率よくまんじゅうが作れるように、長方形の型の中に二つかたどられています。

コンロでガスが、ボウボウ燃えています(明治時代には、薪だったそうです)。

その金型に、ホットケーキみたいな薄い生地を入れます。

ボウルに入っているとろりとした薄茶色の生地を、オタマで入れるのです。

ゴム手袋をしているので、ちょっと難しい。

コンロの隣に、目覚まし時計が置かれていて、これで、焼き時間をはかるのです。

「この秒針が、三十秒経ったら、生地を入れて下さい」

たった三十秒でひと段落出来ちゃうらしい。

オタマを握りしめるわたし。心臓は早鐘のように胸を打ちます。

なにしろ恐怖料理を作ったことがあるわたしなので、料理にはあまり自信がないのです。

負けるなわたし。

たとえ不細工なお菓子を作っても、食べるのはわたしだ! 悪いか!

生地を少し、少なめに入れます。

そのまま、餡を入れて、覆うように生地を流し込みます。

生地が金型の中で、餡を包み込みます。

グラタンのホワイトソースみたい。ポタポタしています。

生地を入れたら、ひっくり返して、約二十秒、また焼きます。

ではさらにトリビアをひとつ。

もみじまんじゅうは、洋風の餡(チーズやクリームなど)を入れるときに、だいぶ反対があったそうです。

和菓子に合うわけがない、売れるわけがない。

それでも、創業者は、挑戦をあきらめませんでした。

反対を押し切る勇気が、お菓子作りの歴史を変えていったのです。

機械化するにあたっても、だいぶ反対があったんですよ。

菓子は、手作りが一番だと反対する菓子職人を説得して、できあがりが均一で、品質管理が楽に出来る機械式の方法を模索していったのです。

機械化で、廃れていくかも知れない手作りの伝統を学ぶために、いま、こうしてわたしは講習を受けています。

うまくいくかな。うまくいくかな。

金型を数回ひっくり返し、完全に火が通ったらできあがり。

火が通ったかどうかは、講師がチェックします。

「火が通りましたよ」

うまくいった! できた! やった!

できあがったまんじゅうを、昭和四十年代の機械でラッピング。

まんじゅうを機械に挿入して、がっちゃん! とビニール包装するんですが、あっというまです。

「こっちがチョコレート。こっちが餡子です」

まんじゅうのビニールラップに、チョコ、と書いてくれる講師のひと。

ほっくりあったかいまんじゅうのちっちゃな感触が、とてもうれしいのです。

全工程約三十分。まんじゅう作りの免許皆伝証ももらえますし、お土産として,作りたてのまんじゅうも、もらえます。

できあがったまんじゅうを、その場で食べることも出来ます。

不出来なもみじの形をした、きつね色の可愛いおまんじゅう。

ひとくち、ほおばってみました。

こし餡の上品な甘さと、しっとりしたくちあたり。

まんじゅう全体のふかふかした食感とも相まって、口いっぱいになめらかさが広がります。

焼きたての皮のかおりに、しばし陶然としていました。

今度はチョコレート。

甘ったるいのかと思ったら、かすかに大人の苦みが感じられます。

とろりとしたチョコと焼けた皮の乾いたかおりのハーモニー。口いっぱいにほおばって、もう、夢中になって平らげました。

チョコの入った和菓子なんて初めてでしたが、体験してほんとうによかったです!

和洋折衷、いかにも日本らしい繊細な味でした。

あなたにもできます!

宮島でしか出来ないもみじまんじゅう作り、体験してみませんか。

わたしは作りませんでしたが、店頭で売っている作りたてのチーズもみじもおすすめですよ。

posted by アスリア at 13:26| Comment(0) | エッセイ

オオヤマレンゲとわたし

平成初期のこと、わたしは夫とともにトレッキング・サークルに入った。広島に来たばかりだし、運動不足と孤独を解消する意味でも、そのサークルに入って山登りをしようというわけだ。

広島は、低山に恵まれた土地である。初心者でも手軽にいける山が、ごろごろしている。そのなかには古事記に出てくる神さまが葬られたという比婆山(ひばやま)もあれば、その隣には、頂上に木が一本もない毛無山(けなしやま)もある。

どんなに低山でも、ちゃんとした装備は欠かせない。しかし、どんな装備を用意すればいいのか判らない。そんなときにサークルに入っていると、先輩からいろいろなことを教わることが出来る。

地図の見方を教えてくれたり、靴はスニーカーじゃダメだよと教えてくれたり、なにかとお世話になったサブリーダー。髪はかるくウエーブしており、目は大きくてキラキラ輝いていた。山に登っているのにまったく焼けていなかった。

「この山じゃないけど、ショウジョウバカマって花も咲いてる山があってね、これもなかなか可憐で、見てて飽きないんよ」

そんなことを言っているサブリーダーは、おおきな瞳が美しかった。

「オオヤマレンゲは、どんな花なの?」

わたしが水を向けてみると、

「それは行ってのお楽しみ!」

と、サブリーダーは、いたずらっぽく微笑んだ。

数ある山の中でも、忘れられない山がある。梅雨まえに、オオヤマレンゲという花を見に行ったときのこと。場所は島根県境の猿政山(さるまさやま)である。

マイクロバスで駐車場に着いてから、ラジオ体操をする。平均年齢六十歳。人数は十二人ぐらいだった。

どんよりとした空の下、わたしたちサークルは、山を登っていく。山登りは登るだけでも楽しいものだ。頂上に到着したという達成感は、半端ない。

わたしたちは、山の道を歩き続ける。

ふと小石に足を取られそうになり、サブリーダーが手を差しのばしてくれた。リーダーはグループの全体に目をやり、遅れそうな人に声をかけている。周りを見る余裕なんてまったくなかった。冷たい、湿った風が潮のように青い木々を揺らしていた。

早くも息が切れる。花はどこにあるのだろう。咲いていなかったら、どうしよう。オオヤマレンゲという名前からすると、レンゲの花と似ているのだろうか。

レンゲというと、中華料理に出てくるあのスプーンとか、田んぼに咲いているあの雑草ぐらいしか知らないので、あまり期待できないかなと思った。

「だいじょうぶ? 少し休む?」

サブリーダーの言葉に、わたしは少し笑って首を振った。

「なんのこれしき。わたしはまだ、三十代だよ。体力は自信があるのよね」

なんて言っているが、ほんとのところはバテバテである。広島人は、根性も違うんだなと思って自分が情けなくなってきた。

滑りやすい急勾配を七〜八分登ると美しいブナの森が見えてきた。足元を覆うササの藪を漕ぐ。そのまま稜線をへろへろと歩き、頂上直下の大斜面が目の前に……。

それからが、もうたいへんだった。フィールドアスレチックなのである。上へ行くためにロープがある。ロープを伝って渡るときに、「下を見ないようにね」サブリーダーのことばに思わず下を向いて、めまいを感じてしまうわたし。

かと思うと道を横切る木の根がある。ごつごつした木の根を乗り越えて、さらに上を目指すと、今度は岩がごろりと邪魔をする。点数がとれないし、疲れるし、いいところはまったくない。

もうだめか、と思ったとき、やっと山頂にたどり着いた。

その鬱蒼とした森の中に、オオヤマレンゲがあった。

「おお……」

仲間の声が漏れる。それほどこの花の存在感は、大きかった。

花というより、まるで貴婦人。赤ん坊の掌ぐらいはありそうな花弁のひとつひとつは円形にまとまっており、花の芯を守っている。においはなく、、緑ゆたかな木々の中で、その白さが光の斑(ふ)のように輝いていた。

「これが、オオヤマレンゲ……!」

わたしは、その花を見上げた。花は大きな木に、リンとして誇らしげに咲いている。

「絶滅危惧種なんじゃ」

リーダーが、そっと言った。

「じゃけ、とってええのは写真だけ、残してええのは思い出だけじゃ」

いいことを言うなぁ、と思っていたら、山登り仲間での合い言葉だったらしい。

写真を撮らずに帰ることにした。

わたしには、思い出があればいい。思い出は褪せないし、盗られることもない。場所も取らない。

「あんたも変わってるねえ、写真ぐらい撮ればいいのに」

サブリーダーに笑われてしまった。

帰りに、広島の絶滅危惧種について、話が盛り上がった。

「ミヤジマトンボっていうトンボも、絶滅危惧種なんじゃよ」

リーダーが、ないしょだよ、という顔で教えてくれた。

「みんなで大切に、守ってやらにゃならんのじゃ」

あんなに曇っていた空は、いまはすっかり晴れて、夕暮れが迫っていた。

今度はどんな山に登り、どんな出会いが待っているのだろう。

大きな期待とわずかな不安に振り返ると、登山仲間が、ほがらかな笑顔で包み込んでくれた。

わたしを幸せにしてくれる、ほっこりした笑顔だった。

―――オオヤマレンゲは、いまも猿政山で咲いている。

posted by アスリア at 13:16| Comment(0) | エッセイ