2017年08月19日

青いジーンズの青年

青いジーンズの青年

「この男だ。コイツを町から追っ払って欲しい」
依頼人は、青いジーンズの青年の写真をさして言った。
彼は中肉中背で顔に傷があり、筋肉質のからだをしているスーツ男だ。ちょっと見だけでも、すねに傷を持つタイプだと判断できる。
「自分でカタをつけりゃ、いいじゃないか」
おれは、依頼人にささやいた。依頼人は、おれの事務室内をウロウロ歩き回りながら、チッチと舌を鳴らして見せた。
「直接手を下すと、恨まれるだろ?」
汚い仕事は、おれの仕事だというわけだ。まあいい、報酬はたっぷりもらっている。ただコイツを町から追っ払えばいいのなら、やり方はいろいろだ。
「理由を聞かせてもらっても、いいかな?」
おれは、依頼人に訊ねたが、ヤツは薄い唇を釣り上げて、
「よくある話さ」
とだけ、言った。
ふーん、とおれは、一旦引くことにした。私立探偵なのだから、調べる手段はいくらでもある。問題は、この青年をどうやって追っ払うかであって、原因なんかはどうでもいい。
「コイツがよく行くところは、どこだ?」
おれは、依頼人に訊ねた。

というわけで、おれは海に来ていた。
おれはタバコは嫌いじゃない。むしろヘビースモーカーだ。しかし、海に出るとなるとタバコは遠慮したくなる。綺麗な砂浜を、煙や吸殻で汚したくない。雨が降っていたし、季節ももう秋で、海水浴場はすっかりガラ空きだったが、ひとりだけ、泳いでるヤツがいた。
例の、青いジーンズの青年だ。
あいつは、タバコを吸うのだろうか。
青い魚のようにジーンズごと水にひたる青年を見ながら、おれは少し考えに浸っていた。
あいつをどうやって追っ払う?
話し合いで通じる相手なら、依頼人はとっくにやっているだろう。そもそも、手段を尽くしたからこそ、裏世界に顔を出して、ひとり始末しろと言っているのだ。
毒でも盛るか。
追っ払え、と命じられているだけなのに、殺してしまったらおおごとだ。こっちだって前科ができることになるだろう。たしかにおれも、危ない橋は渡ってきたが、人殺しだけはやったことがなかった。なかなかに、刺激的な魅力ある思考実験だが、現実的ではない。
毒を盛る線は、惜しいが除外だ。だいたい、青年の知り合いでもないのに、盛る機会はないに等しい。
「おじさん、なにしてんのさ」
突然、声が飛んできた。ギョッとしてタバコが口からこぼれ落ちた。
顔を向けると、あの青いジーンズの青年が、身体中を水浸しにして立っていた。いつの間にか、水からあがってきたらしい。
「こんな雨のなか、ひとりでよく泳ぐ気になるな」
おれは、質問には答えなかった。なので、その青年に冗談めかした雑談を振ってみた。
「いや、ひとりじゃない。アイツも泳いでるよ。賭けをしてるんだ」
青年は、穴だらけのジーンズから、水滴をぽたぽたさせている。指さす方向を見ると、水泳パンツをはいた青年がひとり、海の彼方の岩に向けて泳いでいる。
「タイムを競っているのか」
「あはははは、おれたち、オリンピック選手じゃねーよ」
「じゃあ、カネか」
「もっといいもんだよ」
会話をしている間に、水泳パンツの男は、岩にたどり着けずに引き返してきた。
「イタダキだね」
ジーンズの青年は、性格のわるそうな笑みを浮かべる。
「今日のうちに、また会えそうだな」
去りながら、おれは青年に言った。青年は、いぶかしげにしていたが、水泳パンツの男の方に向かって行くと、ぽんと背中を叩いた。
おれが振り返ると、パンツ男は、身を縮めていた。
あの青年に、しつこくいろいろ言われているのだろうと思うと、気の毒になった。

この町は、小さくて田舎くさい。商店街だって、シャッターが下りている。
しかし、それでもやっている店というものはあるものだ。個人商店とか、喫茶店とか、バーとか。
おれは、カウベルを鳴らしてその店に入っていった。
薄暗い店舗だ。まず眼に入るのは、ズラリと並んだボトルと、ガラスのコップ。
髪の長い女がひとり、コーナーに座っている。うぶな女のように子猫に語りかけているが、その顔や衣装は、見るものをなにかそそらせるものがあった。香水のような腐臭が、彼女から漂ってきている。悪女というよりは、性悪な女郎という体(てい)であった。
しかし、この暗がりでも、その魅力はあきらかであった。おれはそいつのそばに座って、バーテンをチラ見した。
「やあ、青年。また会ったな」
そう言ってやると、バーテンは、さっと顔色を変えた。
「あなたはさっきの……」
「火遊びも、たいがいにしておけよ。怪我をしてからじゃ、遅いからな」
おれは、一応、警告しておいた。
バーテンは、青いジーンズの青年であった。いまはバーテンの制服を着ている。似合わないことおびただしい。おれだったら、こんなヤツに男を競わせたりしない。
女のやることは、わからん。
女がなだめるように笑いかけると、青年は、職業的な笑みを浮かべた。
「ご注文を」
「バーボン、ひとつ」
おれは女をじっくり拝見した。こんなあばずれが、男を手玉にとっているのが信じられない。この女は、どこがよくて、自分を賭けるのか。
「ねえ、あなた。あの子をヘコませてみる気、ない?」
女は、おれにしなだれかかり、バーボンを配ってくる青年にウインクした。
青年は顔を真っ赤にし、おれはクスリと笑って言った。
「おれみたいな年寄りが趣味なのかい」
「だれだっていいのよ、暇つぶしなんだから」
女は、けだるい口調で言った。
「あんただって、いつも同じケンカ相手じゃあ、退屈でしょ」
言われた青年は、くるりと背を向けた。おれが依頼人だったら、青年よりも女を町から追放するが、まあ、これはおれの個人的見解ってヤツだ。
「おれは水泳パンツをもってねえからな」
おれはバーボンのグラスを持ちあげた。たしかに酒の質はよさそうだ。女には興味はないが、青年の若い冒険には、ついていけない。わかっていて話をもちかけるのだから、女の底意地の悪さが透けてみる。
青年が、気の毒になってきた。
かれのためにも、ここはこの町から出ていってもらうのが、いいのかもしれない。
依頼人はバーテンの雇い主だが、青年がハメを外すのを止めることができないでいるのだ。
バカな依頼人のバカな頼みごとを、真面目にこなさねばならないおれは、頭を使うよりは腕っ節を使う方が慣れている。
青年だって、同じだろう。女をめぐってケンカをする度胸がないから、水泳などという軟弱な方法で女を賭ける。それが積み重なって、恨みを買っている。本来なら、依頼人に向けるべき憎悪が、目に見える存在ということで青年に向けられる。それを女が喜ぶ。
ゆがんでいる。
ついていけないとは思ったが、仕事だからやり遂げねばならない。夜二時までねばったおれは、バーボンをひと瓶開けて、しっかりした足取りで閉店した店の裏口で待っていた。
青いジーンズに着替えた青年が、店を閉める気配がある。ひと呼吸置いてから、おれは青年に飛びかかっていって、その腕をしめあげた。
ごきっと音がして、腕が脱臼する。これで水泳は当分無理だろう。女から見れば、たかが脱臼でおれとの勝負から逃げたってことになる。町にはいられなくなるはずだ。
「なにしやがる!」
青年は、腕をかばながら叫んだ。「卑怯だぞ!」
「それがおとなのやり口ってもんだ。いい加減目を覚まして、この町から出て行きな」
おれは言い捨てた。女が、バーの裏口で、ニタニタ笑ってこっちを見ていた。

明け方になっていた。
おれはあの海に来ていた。雨はやんでいたから、泳ごうと思えばできるはずだった。
―――海は、きらいだな。
おれは、砂浜に落ちたタバコを見つけて、拾った。
あの岩の向こうに、なにがあるのかと、ワクワクしていた幼いころを思い出した。
おとなになったとき、岩にたどり着いて、何も見えないことに絶望した。
いま、ふたたび、海を泳いだら、今度は別な景色が見えるだろうか。
タバコに火をつけて海を眺めた。
日が昇ってきた。
おれは、服を脱いで海へ飛び込んだ。
向こうに何があるか期待はまったくしていなかった。

posted by アスリア at 15:59| Comment(0) | 創作