カネクレ虫
南 アサトが帰ってみると、そこにはでかい虫がいた。
アサトは、生命保険の営業である。今日もいやな上司にたっぷり絞られて、やっとノルマをこなして帰ってきたところであった。
アラサーのアサトは、ひとりものである。
ガミガミどやす上司に悩まされてきた。
バーで一杯飲んで帰ってきたところである。
手料理を作ってくれる奥さんもいないのに、なぜか……、
家にでかい虫がいる。
直立している。
アサトは、扉をばたんと閉めた。
いま、何時だ? おれは酔っ払って、夢でも見ているのか?
それから、そっと扉を開けた。
あいかわらず、薄暗い部屋の中に、でかくて丸い虫がいた。
初秋のころである。夏の虫は、ひととおりいなくなっていた。だから、セミやトンボではありえない。
その虫は、背中がまるくて、足が六本あり、金箔でも塗ったみたいに輝いていた。
たしか、カフカの小説に、いきなり虫になった男の話があったなとおもいながら、アサトは殺虫剤をさがして部屋を横切ろうとした。部屋はきれいに片付いている。CDも漫画本も、営業用の資料も、食料も、あるべき場所におさまっている。だれが片付けたのだろう。
まさか、虫が?
ありそうにない。
すると、虫は、長い触覚を動かしながら、
「カネクレ、カネクレ」
と、しゃべった。
アサトは、スーッと酔いが覚めてくるのを感じた。
虫が、しゃべった?
茫然としているアサトに、虫は両手(?)を差し出して、
「カネクレ」
と言うのである。
「おまえは……、なんだ?」
アサトは、やっと言った。化物なのか? それとも、遺伝子操作による新しい生物なのか?
AIによる疑似昆虫ロボットという線もあるかもしれない。
「カネ、スキダ」
虫は、答える。アサトは、じろじろ相手を眺めた。どうやら、相手は攻撃する意図はなさそうだ。敵意がないのなら、慌てる必要はないだろう。それに話せる昆虫なんて珍しい。
「カネの嫌いな奴がいたら、顔を見てみたいね」
「アタシ 置イタラ カネ 一杯 アゲル」
虫は、拝むように両手(?)をこすり合わせた。
「アタシ カネクレ虫。イルダケデ カネ 集マル」
「へー」
本気にしたわけではないが、いるだけでお金が集まる虫というのは興味深い。大学あたりに持って行って、研究対象に売り飛ばすというのもアリかもしれない。
それに、この虫は、部屋の半分を占拠するほどの大きさである。殺虫剤が効くとも思えない。
「カネ 集マッタラ 半分クレ。カネクレ」
カネクレ虫は、そう言った。
追い出してもよかった。寝る場所がなくなってしまう、迷惑だと。カネが集まるなんて、信じられるかと。
「あんたのエサは、カネなのか?」
カネクレ虫に、アサトは問いかけていた。
「カネ! カネ! 喰ッタラ 増エル!」
ものは試し、ということわざもある。クラウド・ファウンディングに投資したのだと思えばいいだろう。違法なことはないだろうな、と確認した後で、アサトは二百円ほど、そのカネクレ虫に喰わせてやった。
しゃきーん!
虫の目の色が変わり、お尻からなにかが出てきた。
「―――馬券?」
アサトには、縁のなさそうな券である。
「明日のレース、これで勝つ」
虫は、少し聞き取りやすくなった声で言った。
アサトは、半信半疑だったが、ひとまずその馬券を預かって、虫を廊下に追い出し、部屋に布団を敷いて寝た。
営業回りの隙に、馬券を換金した。
なぜか大穴が当たっており、一万円になっていた。
「すげ……!」
アサトは、カネクレ虫を見直した。約束通り、半額をカネクレ虫に渡す。
すると、こんどは「パチンコの玉がよくでる台」と書かれた情報が、お尻から出てきた。
「カネクレ! もっとくれ!」
カネクレ虫は、要求した。
アサトは、その情報をもとにパチンコ屋へいって連戦連勝。パチンコ玉をパチンコ店で景品に交換し、それを景品交換所で現金に交換した。
こうして、アサトは、徐々にお金が増えてきた。
最初は、小遣い稼ぎ程度だったのだが、だんだん生活費に充てるようになっていった。
ガミガミ言われて働くのがばからしくなってきたので、さっさと仕事を辞めて、カネクレ虫に投資するようになった。
お金に余裕が出てきたため、株にも手を出したところ、北政府の脅しに対抗する日本政府とアメリカの緊張が、景気にいい影響を及ぼしたらしく、面白いようにお金がどんどん増えていく。
いつの間にか、アサトは、億万長者になっていた。
そうなってくると、アサトにおべっかを使ってお金の出所を知ろうとする人間や、成功の秘密を聞きたがるマスコミが現れる。
近所迷惑になったこともあって、アサトは引っ越すことにした。
その旨をカネクレ虫に言うと、
「アタシはここがいい! ここに、愛着があるの!」
という返事であった。
カネクレ虫が生まれたのがここなので、ここ以外で暮らすなんて考えられないというのである。
アサトは、困ってしまったが、カネクレ虫にばかり頼っている時期は、もう終わったと思い、
「それじゃ、これでお別れにしよう」
と、エメラルドのブローチを差し出した。虫にあげるには高価なプレゼントだが、世話になった礼としては少し安かったかもしれない。
すると、カネクレ虫は、うれしそうにブローチをもらうと、
「カネだわ! カネだわ!」
といって、いきなりがぶりと噛みついてしまった。
あっと思うと、次の瞬間には、カネクレ虫はもぐもぐブローチを食べ尽くし、そのまま口を触覚でぬぐって、「おいしかったわ」と言うのである。
その直後。
ぶくーっとカネクレ虫のおなかがふくらんでいった。
「わー、たいへん! 子供ができちゃった!」
カネクレ虫は、そう叫んだ。
ぞろぞろと、蜘蛛の子のように現れたカネクレ虫の子供たちは、アサトの財産をすべて食い尽くすと、どこかへ散会してしまった。どうやってかは知らないが、銀行に預けておいたお金まで食って立ち去ってしまったのだ。親ほど、土地に愛着があるわけではないらしい。
億万長者から、一気にもとの貧乏人にもどったアサトは、また営業に戻った。
昔といまとでは違うことがある。
カネを喰わなくなったカネクレ虫が、話し相手になってくれることである。
だから、どんなに厳しいノルマと激しい罵倒でも、アサトは耐えていけるのだ。
カネクレ虫の正体がなんであろうと、今となってはアサトにはどうでもいいことであった。