2017年08月30日

「夜は出たくないの」

「夜は出たくないの」

大学の演劇サークルで活躍している女優の卵の朝子は、いつも、夜になると帰ってしまう。
飲み会に誘ってみても、カラオケに誘ってみても、ぜんぶナシのつぶて。

「つきあい悪いよな」
「いわゆる、品行方正ってやつ?」
「それにしちゃ、やりすぎなんじゃ? サークルの親睦会にも出席しないんだぜ」

仲間たちは、お互いに噂し合った。
そう言われてみると、朝子は、少し変わっているようだった。
夜が近づいてくると、そわそわしはじめる。

定期的に、香水の匂いが強くなる。
普段から長袖を着ている。
夏、暑いときだろうと、肌は絶対に見せない。
まるで隠れた恋人がいて、その注文に応じているようだった。

あれだけの美人だったら、それも無理からぬ話である。
並み居る男どもを蹴倒して、独身貴族を貫く朝子は、男たちからは羨望のまなざしで見られ、女たちからは嫉妬の目で見られていた。

「朝子って、ご先祖さまは華族さまだったらしいじゃないの」
女たちは、ささやきあった。
「いまは大企業の一人娘。お金も地位もばっちりね」
「ああ、逆玉があるといいのになー」
男たちは絶叫する。

「なによ。あたしたちじゃ、満足できないの?」
女たちが腕を組むと、
「そりゃそうだよ。地位も名誉も美貌もある朝子と君たちでは、比べる対象にもなりゃしないさ」
女たちは、歯ぎしりして悔しがった。

 

そんなこんなでサークルの空気も悪くなっていき、朝子は嫌がらせを受けるようになった。
台本やダイナーズクラブカードの入った財布を盗まれたり、高級な自転車を盗まれたり、ひどいのになると舞台の上での食事に、ガラスが混じっていたりした。


さすがに監督役のサークル代表も眉をひそめて、
「こんなことが続くようなら、朝子さんには出ていってもらわなきゃな」
と言い出した。
朝子の相手役をすることの多いぼくは、断固としてそれに反対した。

「悪いのは、嫌がらせをした連中だろ? なんで朝子さんが追い出されるんだよ?」
「だけど、実際問題として、うちの会になじもうとしていないのは事実じゃないか。もっと普段から、親しめるような態度をとってくれよ」

代表は、うんざりしたように言った。
そこでぼくは、ひとり学食でランチを食べている朝子さんに近づき、
「今回のこと、ひどいよね」
と水を向けてみた。

朝子さんは、ちょっと寂しい笑顔を見せた。
「しょうがないわ、だってわたくしは、ほかのひととは違いますもの」
「きみの、そういう態度はよくないと思うよ」

ぼくは、ハッキリ言ってやった。すると朝子さんは、軽く目を見開いて、
「―――あなたも、ほかのひとと違うみたいですね」
と、言ってくれた。
ぼくはうれしくなった。これを機会に、お近づきになろうと思い、

「あした、小さな舞台小屋でシェークスピアの『十二夜』をやるらしいんだ。見に行かないか」

と、誘ったら、朝子さんはさっと顔色を変えた。
「十二夜……」
なにがそんなに気になるのだろう。そわそわが激しくなっている。

「確かに、何が言いたいのかよくわからない作品らしいんだけど。きみも女優を目指してるなら、勉強になるよ。シェークスピアは、きらいかい?」
「いいえ……。夜でなければ行けるわ……」

「夜の7時だよ。是非来てくれ。これをきっかけに、夜への恐怖症を克服して、みんなにもなじんでいこうよ」
ぼくが必死で口説いたおかげなのかどうか。
朝子さんは、とうとう、チケットを受け取ってくれた。
  ぼくは有頂天になって、明日が来るのを待った。

 

その日の夜6時半。
小屋の前でぼくは待っていた。
今にも降りそうな曇り空、星すら見えることもない。

いまのぼくの心境と似てるな……。

朝子さんに、振られちゃったのかもしれない。
ぼくと彼女じゃ、身分も住む世界もちがうのかもしれない。
だけど、チケットは受け取ってくれた。
来てくれる。
きっと、来てくれる。

 

すると、小屋に続く細い道に、すらりとした美女が駆けてきていた。
朝子さんだ。
髪を振り乱して、いつもとは雰囲気が違う。
むうっと香水が、鼻をついた。

「ごめんなさい。でも、もうムリみたい」
近づくなり朝子さんは、ぼくにチケットを押しつけた。
「どうして? 急な用事でもできたの?」


ぼくが問い返すと、重くたれこめていた夜の雲がすうっと晴れた。
煌々と、満月が照りわたる。
朝子さんは、返事もせずに、目の前に広がる満月を見上げた。

その直後。

朝子さんが、《《変化した》》。
筋肉が盛り上がり、ギラギラと輝く金色の眸。
野獣のような吠え声、両手の長い爪。彼女はそれでワンピースを引き裂いた。
露出した肌には獣毛が生えて、美しかったその顔は、オオカミのの冷酷で凶暴な顔になったのだ。
小屋に来ていた観客が、悲鳴を上げた。

夜に彼女が出歩けないわけを、ぼくは初めて気づいたが、ときすでに遅すぎた。

posted by アスリア at 07:21| Comment(0) | 創作
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